修学旅行や外国人観光客にも人気の日光東照宮。
その中でも一番人気の眠り猫!
私も一度だけ幼い頃に行ったことがありますが、
不思議な存在感を放っていた眠り猫だけは鮮明に憶えています。
あと有名な彫刻以外は覚えていないんですよね……。
まあ子供の頃だったし仕方ないのでしょう。
今回は、私の記憶を掘り起こしつつ、日光東照宮の中でも一番のアイドル
「眠り猫」の意味や由来について紹介していきますね!
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眠り猫とは一体なんぞや?
「奥宮」(おくのみや)には徳川家康公を祀(まつ)っていて参道の入り口にこの眠り猫はいます。
この眠り猫、意外に小さいのでビックリしますよ!
これが本当に国宝なのか?と疑いました(笑)看板はありますが見落とす人も結構いるんです。
そして眠り猫は名前の通り眠っているのですが、
どこか2本の前足で身体をふんばり、どこか警戒しているようにも見えるんです。
こんなことから家康公を護っているとも言われています。
それにこの彫刻は取り外すことが可能なので、
もしかしたら最初は違うところにあったのではないかとも考えられています。
可愛くて頼れる猫、こんな猫だからこそ家康公も安心しているのではないかと思います。
どうして眠り猫なのか?
日光東照宮(にっこうとうしょうぐう)には様々な動物が飾られていますが
どうして奥宮(おくのみや)につながる入口を護っているのが眠り猫なのでしょうか。
1つ目はネズミ一匹たりとも中には通さない、ということから眠り猫の彫刻になったのではないかと言われています。
2つ目は猫がのんびり眠っていられるほど徳川幕府の下平和が長く続くようにという意味が含まれている。
徳川家康公は戦国時代まっただ中に生まれ、
人質にされ親を殺され自分の子供に切腹を命じるなど様々な辛酸を舐めてきました。
そんな時代に再び戻らないようにと願いを込めたものなのではないかと考えます。
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猫の裏側になぜスズメ?
この眠り猫の彫刻には雀が彫られています。
雀にとって猫は天敵のはずです。
奈良の春日大社蔵(かすがたいしゃぞう)の国宝の太刀の鞘(さや)には、
竹林で雀を捕らえて喰う猫の図柄もあります。
このことから予想するとこの眠り猫の裏の彫刻には
「猫がのんびりと眠っていられるほどの平和の世の中なので雀も安心していられる」
と言われています。
確かに昔祖父母の実家に泊っていたときは、朝方に雀の鳴き声がしていて、田舎だったということもあると思いますが、
かなりゆったりとした光景だったのを覚えています。
国宝眠り猫を彫った人とは?
国宝「眠り猫」という逸品を彫った人物は、
左甚五郎(ひだりじんごろう)と言われて数々の逸話が伝えられています。
左という名字は本姓ではなく、伊丹(いたみ)か河合(かわい)が本姓だと言われています。
左という姓なのは、左ききだったか右腕を失くしたためとも伝えられています。
江戸時代、左甚五郎は庶民のヒーロー的な存在でした。
彼の彫る作品はあまりにリアルなため、木彫りの動物たちが夜な夜な歩き出したという伝説すらあります。
さらに実在の人物ではないとまで言われ、
幾度も落語や歌舞伎に上演され人気を博しました。
何しろ彼は人情に弱く酒好きで、様々なことに失敗を重ねていたので、
今で言うダメ人間的な感じですが、
いざ仕事となると素晴らしい作品を作るということでも有名でした。
眠り猫の話はまんが日本昔ばなしにおいてアニメ化され、「二人の甚五郎」の題で、1981年01月17日に放送されているので、
もしかしたら、観た覚えがある人もいるのではないかと思います。
どうして国宝になったの?
眠り猫は昭和26年に国宝に指定されました。
そもそも国宝の定義というのは、
日本の文化保護法によって国が指定した有形文化財のうち世界文化の見地から価値の高いもので、たぐいない国民の宝たるものであるとし国が指定したもの。
というかなり曖昧な記述です。
左甚五郎という伝説ともいわれるほどの人物の代表的な作品である眠り猫は、後世の人物がみても分かるほど素晴らしい彫刻であるのは変わりありません。
あまりに見事な彫刻のため生きて抜けだしてしまい目元に一刀いれて眠り猫にしたという伝説があることを考慮すれば、
国宝に指定されても全く違和感はないのではないかと思います。
終わりに
小さいけどとても魅力的な眠り猫。芸術にはほど遠い私が見ても素晴らしい作品だと思います。
最近は日本好きの外国人も多いようですね。
東照宮を訪れた際には後悔しないように絶対に写メを撮りましょう!きっといい思い出になります。
そして、画像や由来、歴史について自慢すれば一目置かれること間違いなしです。
看板はありますが想像しているよりもかなり小さいですのでくれぐれも
見落とさないようにしてくださいね。
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